1971年亥年生まれ。既婚者、妻と二人暮らし。子供は居てない。父は20年以上前に他界、母は約3年前から施設に入っている。妻の両親は自宅で健在。結婚してからマンション暮らしになった。自家用車は、小回りが効く軽自動車。20代中盤に就職した中小企業でずっと勤務している。趣味は色々あったけど、今は何にも出来てなくて、家と会社の往復の毎日。
小学校では1クラス40人越え。1学年は5クラスだった。クラス数や人数は住んでる地域で異なるけど、日本全国的に結構居た世代。授業が終わると急いで帰宅し、ランドセルを家に放り込んで、暗くなるまで外で遊んだ。草野球、鬼ごっこ、かくれんぼ、探偵、ビー玉etc. 公園にある遊具は、今と違って過激なものが多かった。回転ジャングルはその代表格。ブランコもクサリは今よりも長めだったし、鉄製シーソーも力一杯地面を蹴るとかなりの衝撃が伝わった。遊ぶ場所も様々。自分達の年齢の上下の世代も結構人数が多いので、野球などは場所が取れなかったり、遊具もいつでも好きな時に使える状態ではなかった。自分達で遊び場所を見つけて、創造的な仲間内だけのルールの遊びをしていたように思う。インベーダー、ギャラクシアンとかのゲームもあったけど、基本お金を使うゲームはしなかった?出来なかった。高学年時にゲームウォッチが出てきて皆んな回しながらやったのを覚えている。
中学では運動クラブに所属した。まだ、兎飛びなんかがメニューに含まれており、夏場の暑い時に水を飲んだらいけない。という精神的なトレーニングが行われていた時代。6人制のバレーボールは、まだリベロと言うポジションはなかった。バスケットボールは3ポイントラインがまだ無かった。野球がメジャーなスポーツで部員数が一番多かった。詰襟の学生服。革の学生鞄からナイロンの学生鞄に変わった時代。学校指定の体操服は芋ジャージ。
たこ焼きは1つ10円ほどで今ほど大きく無かった。ジュース類は、スプライトが今よりかなり強炭酸で凄いゲップが出せた。サンチェーンと呼ばれるコンビニがあったし、文房具店、酒屋、米屋、駄菓子屋が身近に存在していた。巷にまだユニクロは無かった。
高校は中学と同じく1学年が11クラスもあった。卒業するまでに一回もしゃべらない同学年が居た。行動範囲は広がったけれど基本チャリでの行動。学校もチャリで15分ほどのところだった。まだ携帯電話もポケベルも流行ってない時代。修学旅行は長野県へスキー合宿だった。まだスノボーとかは流行っていない時代。
大学受験はかなりの倍率だった。頭良くなかったので当然現役合格は無理だった。狭き門を2浪の末やっと関西の私立大学に入れた。夜間の大学で昼間はアルバイト、夕方から大学へ通った。サークル活動はなく、夢のキャンパスライフでは無かったけれど、色んなことを経験出来た。今はそう思えるようになった。
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